【野球のルール】ストライクゾーン変更の歴史「あれ?昔と違うぞ」と思ったら読んでみて!

【野球のルール】ストライクゾーン変更の歴史「あれ?昔と違うぞ」と思ったら読んでみて!

野球におけるストライクゾーンは時代と共に変化し、その都度ルール変更されてきました。

お子さんに野球を教えている親御さんも多いと思いますが、親御さんが子供のときに教わったストライクゾーンの定義と現代のストライクゾーンの定義が異なっている可能性もあり注意が必要です。

そこで、この記事ではストライクゾーン変更の歴史についてまとめました。

「あれ?昔とストライクゾーンが違うぞ」と思った方は是非読んで欲しい内容となっています。

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野球黎明期~戦前

ここでは野球黎明期から戦前までをまとめました。

野球の根幹となるルールが新たに定められ、変更されていった時代です。

1845年 野球規則の誕生

ニューヨーク・ニッカボッカーズ・クラブのアレキサンダー・ジョーイ・カートライト(25歳)が初めて20項目からなる野球規則を考案。

 

【最初の野球規則】クリックで開きます↓

最初の野球規則

  • 第1条 メンバーは決められた時間通りに集合すること。
  • 第2条 メンバーが集合した時、会長(会長が不在の場合は副会長)は審判を指名する。審判は試合を記録用のノートに記録し、この規則に違反したすべての行為を書き留める。
  • 第3条 会長(会長が不在の場合は副会長)は2人のメンバーをキャプテンに指名する。2人はその場を離れて相談し、試合に参加する選手を選ぶ。その際、両方の選手の技量ができるだけ同じになるように留意する。キャプテンは率いるチームをコイン・トスで決め、次に同じ方法で先攻を決める。
  • 第4条 塁と塁との距離は、本塁から二塁まで42歩、一塁から三塁までが42歩で同距離とする。
  • 第5条 通常の練習日には、対外試合は行わない。
  • 第6条 練習開始時間にクラブのメンバーが足りない場合には、メンバー以外の人を選手に加えることができる。メンバーが後から現れても練習に参加させる必要はない。ただし、選手を選ぶ際にその場にいれば、いかなる場合でもメンバーに優先権がある。
  • 第7条 試合開始後にメンバーが現れたときは、両キャプテンがお互いに同意すれば、選手に加えることができる。
  • 第8条 試合は21点で成立する。ただし、試合終了時に両チームのアウト数は同じであること。
  • 第9条 打者に対する投球はピッチで、スローではない。(注:投手は下手投げで打者が打ちやすいボールを投げていた)
  • 第10条 打球がグラウンド外に(注:ノーバウンドで)出た場合、あるいは一塁または三塁の線外へ出た場合はファウルである。
  • 第11条 投球を3回空振りして最後の投球が捕えられたらアウトとなる。捕えられなければフェアとみなされ、打者は走らなければならない。
  • 第12条 バットで打ったか、かすったボールが直接またはワンバウンドで捕えられたら打者はアウト。
  • 第13条 走者は、塁につく前に塁上の野手が捕球するか、ボールでタッチすればアウト。ただし、どんな場合でもボールを走者にぶつけてはならない。
  • 第14条 守備側がボールを捕えようとするのを妨害する走者はアウト。
  • 第15条 スリー・アウトで攻守交替。
  • 第16条 打者は定められた順番で打つこと。
  • 第17条 試合に関する紛争や異議は、すべて審判が裁定する。抗議は認められない。
  • 第18条 打球がファウルのときは、得点も進塁もできない。
  • 第19条 投手がボークを犯したとき、走者はワン・ベース進塁できる。この走者をアウトにすることはできない。
  • 第20条 打球がバウンドしてグラウンド外に出た場合は、ワン・ベースが与えられる。
  • 日本は江戸時代。アメリカの使節ペリーが来航し、浦賀で開国を要求するのが1853年なので、その8年前となる。

1858年 見逃しにストライクを採用

見逃しに「ストライク(打て)」のコールがされるようになる。

  • 日本は江戸時代(安政5年)。井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランスと修好通商条約を結ぶ。

1863年 「ボール」の採用

真ん中付近を通らない球に「ボール」のコールがされるようになる。

  • 日本は江戸時代(文久3年)。薩英戦争(生麦事件への報復として、イギリスが鹿児島湾を砲撃)。

1879年 9ボール制

すべての投球がストライクかボールに区分され、9ボールで一塁へ。

  • 日本は明治時代(明治12年)。この年の2年前(1877年)が西南戦争。

1880年 8ボール制

8ボールで一塁へ。捕手が3ストライク目の投球を直接捕球すれば打者は三振でアウトになる。

  • 日本は明治時代(明治13年)。この年の翌年(1881年)に板垣退助らが自由党をつくる。

1882年 7ボール制

7ボールで一塁へ。投手の横手投げが解禁される。

  • 日本は明治時代(明治15年)。大隈重信が立憲改進党をつくる。

1884年 6ボール制

6ボールで一塁へ。投手の上手投げが解禁される。投手の投法が自由となる。

  • 日本は明治時代(明治17年)。東京築地魚市場の開設を許可する。

1887年 ストライクゾーンの設定

打者が投手に打ちやすい球を要求することの廃止。

ストライク4個で三振。

5ボールで一塁へ。

一・三塁のベースの位置が現在のようにすべてラインの中にはいる。

ストライクゾーンの設定(打者の肩の上部からひざ頭の下部)

  • 日本は明治時代(明治20年)。東京に電灯がつく。

1888年 ストライク3個で三振

ストライク3個で三振。

  • 日本は明治時代(明治21年)。香川県が愛媛県より独立。

1889年 4ボール制

4ボールで一塁へ(四球がボール4個)。

  • 日本は明治時代(明治22年)。大日本帝国憲法が公布される。

1894年 バントのファウル

バントのファウルをストライクと数える。

  • 日本は明治時代(明治27年)。日清戦争が始まる(~1895年)。

1900年 ホームプレートの設定

ホームプレートの設定(4角形から5角形に)(投手に面している辺17インチ)。

  • 日本は明治時代(明治33年)。治安警察法公布。
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戦後~昭和の終り

世界が平和に向かい、野球のルールも近代化されていった時代です。

ストライクゾーンに関しては、より細かい定義がされることになります。

1950年(昭和25年)

野球規則が現在の形態になる。

ストライクゾーンを以下のように改正。

「自然に構えたときの腋の下からひざ頭の上部までの本塁上の空間」

 

  • ストライクゾーンの上限は1950年基準と2009年基準(現行基準)とで同じように見えますが、1950年基準は「腋の下」となっており、胴長の選手は2009年基準よりストライクゾーンが広がります。
  • ストライクゾーンの下限はボール1個分くらい1950年基準の方が狭いですね。

1962年(昭和37年)

ストライクの定義の一部が「打者の打たなかった投球のうち、ボールの一部でもインフライトの状態でストライクゾーンのどの部分でも通過したもの」となる(日本ではストライクゾーンの高低に関してだけボールの全部とした)。

  • ベースをかすめた場合はストライクってことです。

1963年(昭和38年)

ストライクゾーンを以下のように改正。

「ストライクゾーンは、打者が自然に構えたときの姿勢の肩の線から膝までの間の本塁上の空間をいう」

  • ストライクゾーンの上限が「肩の線」とかなり広くなりました。
  • ストライクゾーンの下限は表現がアバウトになりました。

1969年(昭和44年)

ストライクゾーンを以下のように改正。

「ストライクゾーンは、打者がそれぞれ固有の打撃姿勢をとったときの、腋の下から膝頭の上部までの間の本塁上の空間をいう」

  • 1950年基準に戻ったように見えますが、「打者がそれぞれ固有の打撃姿勢をとったときの」という点が異なっています。つまり、同じ体型の選手でも構え方によってストライクゾーンが変わる、とも言えますね。
  • フォアボール狙いの構え方もできそう・・・

1986年(昭和61年)

「アマチュア野球では、ストライクゾーンの高低に関してだけ、ボールの全部が、打者のそれぞれの固有の打撃姿勢をとったときの、腋の下から膝頭の上部までの間を通過したものとする」と改正。

  • 基本的には1969年基準と一緒ですね。

 

この時代のポイントして、1969年(昭和38年)基準から「打者のそれぞれの固有の打撃姿勢をとったときの~」となっており、打者の構えによってストライクゾーンが変わるという解釈が可能になったことが挙げられます。

「打撃姿勢」の定義がアドレスのことなのか、打者が打ちにいく瞬間の構えのことなのか解釈が分かれそうですけどね。

ちなみに、これが改められるのが1989年(平成元年)です。

この時期に野球をやり始めた方、ルールを覚えた方は「ストライクゾーンは打者の構え方によって変わる」と思っていても不思議ではありません。

年代で言えば、40歳代~60歳代の方ですね。

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平成時代

現在のルールが確立された時代です。

1989年(平成元年)

ストライクゾーンを以下のように改正。

「ストライクゾーンは、肩の上部とユニフォームのズボンの上部との中間点に引いた水平のラインを上限とし、膝頭の上部のラインを下限とする本塁上の空間をいう」

  • 「打者がそれぞれ固有の打撃姿勢をとったときの」が削除され、打者が投球を打つための姿勢で決定されるべきという現実的なルールに変更。
  • ストライクゾーンの上限が「腋の下」から「肩の上部とユニフォームのズボンの上部との中間点に引いた水平のライン」に変更となる。
  • ストライクゾーンの下限は変更なし。

1997年(平成9年)

ストライクゾーンを以下のように改正。

「ストライクゾーンは、肩の上部とユニフォームのズボンの上部との中間点に引いた水平のラインを上限とし、膝頭の下部のラインを下限とする本塁上の空間をいう」

  • ストライクゾーンの下限がこれまでの「膝頭の上部」から「膝頭の下部」に変更。ストライクゾーンが低めに広がりました。

2009年(平成21年)

ストライクゾーンについて、「アマチュア野球では、ストライクゾーンの下限に関してだけ、ボールの全部がひざ頭の下部のラインより上方を通過したものとする。」とのアマ内規を廃止。

  • アマチュア野球では「膝頭の下部のラインをかすめるボール」ではストライクにならなかったのですが、これを廃止。事実上、ストライクゾーンの拡大ですね。

 

平成になると日本人選手のメジャー挑戦が活発になり、野球の国際化が進みました。

同時にストライクゾーンの違いがクローズアップされることも。

NPBでは、それまでベルト付近が上限だったストライクゾーンを2002年に公認野球規則の通りに改めましたが、翌年(2003年)には見直されています。

2007年には、パ・リーグが外角にボール1個半広がった新ストライクゾーンを採用。

これは交流戦によって違うリーグの審判の判定を受けるケースが多くなり「パ・リーグはセ・リーグよりストライクゾーンが狭い」という意見が出たためです。

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まとめ

この記事では、ストライクゾーン変更の歴史についてまとめました。

数多くのルール変更を経ていますが、それ以上にルール適用上の解釈の修正が行われてきました。

また、野球経験者であればご存知だと思いますが、野球レベルが低くなるほどストライクゾーンが広くなる傾向があります。高校野球ですら打者にとってかなり広いストライクゾーンですからね。

 

よくストライクゾーンの曖昧さについて論議されることがありますが、野球の歴史を辿っていくと、元々ストライクとは審判からの「打て」という命令であり、その基準としてストライクゾーンが明文化されているだけなんですよ。

それゆえ、「ストライクを機械的に判定することはありえない!」という意見がありますが、どうなんでしょうね。

生活をかけているプロ野球選手は、その1球の判定によりプロ野球人生が終ることもある。

負けられない試合を戦う学生野球の選手は、その1球の判定により努力が報われないこともある。

選手として長くプレーしてきた身から言わせてもらうと、野球に人間的な趣を残すより、明確な基準で判定してもらった方がありがたいですけどね。

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