私が高校2年の夏にイップスに陥ってから、症状は悪化する一方でした。そんな日々が続くと次第に野球そのものが嫌いになっていきます。
この記事では、そんな当時の苦しみとイップスになった理由について説明します。
必死に対処を考える毎日
前回の記事で、私が高校球児のときにイップスになったことを書きました。
その後は、必死に対処を考える毎日でした。
・投げるフォームの見直し
・手首の使い方を変えてみる
・指の使い方を変えてみる
技術的な欠点があると考え、試行錯誤しましたが全く解決には至りません。
さらには、指にテーピングを巻いて、投げる感触を変えてみたりしましたが、意味の無いことでした・・・
なぜ、ピッチャーへの返球だけがおかしいのか?
イップスの症状が出てから、私は疑問に思っていたことがありました。
なぜ、ピッチャーへの返球だけがおかしいのだろう・・・
私はキャッチャーでしたので、投手への返球以外にも
・シートノックや試合で三振を奪ったときにやるボール回し
・送りバント処理のスローイング
・盗塁を刺すときのスローイング
と、数多くボールを投げる機会があるわけです。
イップスになった当初、これらのスローイングには全く問題がなかったんです。技術的な問題ならば、これらのスローイングにも不具合が出てきてもおかしくありませんよね。
もちろん『メンタル的な問題なのか?』とも考えました。
しかし上で挙げたスローイングは、投手の返球なんかよりプレッシャーがかかる場面ですから、『プレッシャーに負ける』と言ったメンタルでは無いような気がしていました。
症状は日に日に悪化
なぜ投手への返球だけが上手くいかないのか?その原因が分からないまま、だましだましプレーを続ける日々でした。
しかし、徐々に以下のような考えに変わっていきます。
投手の返球以外でも、おかしくなっても不思議じゃないよな・・・
そして不安が現実となります・・・
試合中、三振を奪ったときにやるボール回しの際、とんでもない暴投になってしまいました。次は、ランナーがいない内野ゴロ後のボール回しでも暴投に。
そうです!あっという間に投手への返球と同じ症状になったのです。
負の連鎖は続き、ついには練習のノックやスローイングでもダメ。もう八方塞がりでした・・・
野球を辞めたいと何度も思った
イップスになると投げるという行為が怖くなります。そんな状態では野球が楽しいはずもありません。私は何度も野球を辞めたいと思いました。
私がイップスになったのは高校2年の夏の大会後です。部では最高学年になり、私は副キャプテンになりました。
打順は4番。ちなみに1年のときに5番になり、打率は3割以上。2年のときは、打率は4割以上打っていました。
ボールが思うように投げられないので、野球部を辞めます・・・
チームの中心選手が、こんなことを言えるわけがありません。本当は辞めたいのに・・・
当時は『イップス』なんて単語は知りませんでしたし、私の周囲にも知る人はいなかったと思います。
そのような状況の中、野球を辞めるわけにもいかず、誰にも相談できず、ただただ苦悩するばかりだったのです。
イップスから抜け出せなかった原因
3年生になって、『暴投になっても良いから、全力で投げよう』と決めました。毎日、ネットに向かってスローイングの練習もしました。
試合では暴投の頻度はかなり下がったと思います。
でも、心の中の不安感は消えない。
ただ単に、開き直って投げているだけですからね。結局、3年の夏の大会を終えるまで、本当の改善は出来ませんでした。
イップスになり、抜け出せなかった原因を自分なりに分析すると、以下のようになります。
①完璧を求めたが、技量が追いついてなかった。
②技量が無いくせに、完璧にこなせない自分に違和感をもった。
③『出来ないこと』を『失敗』だと思い始めた。
④『失敗』を叱責され、『してはいけない失敗』だと強く思ってしまった。
⑤『してはいけない失敗』を常に頭の中にイメージしてしまった。
⑥失敗を繰り返すことによって、自分自身に自信を持てなくなってしまった。
きっかけは些細なことでした。
しかし、スローイングを完璧にこなすことを当然だと思い、それができないことに対し違和感を持ってしまった。
その違和感が徐々に『不安感』に変わり、『負のイメージ』に進化してしまったんですね。
結局、負のイメージを自分が払拭できなかったことが、改善できなかった理由だと思います。
一度ついた負のイメージを払拭するって結構難しいですからね。
私のイップスが治ったのは、大学に入ってからです。その話は以下の記事に書きましたので、ぜひご覧ください。